TADAO KUREBAYASHI君の
お家の居間に在った「ブツ」である。
2年程前に僕が
「ぱちっ」とさせて貰った。
好きだったからだ。
「作者」の彼と僕は面識が無い。
だから提示する事に「迷」が在る。
TADAO KUREBAYASHI君と
作者とのお付き合いの加減も
僕は100%知らない。
1988年頃の作品で画号が自称
「雲海」との事だ。
2009年の早春にこの「ぶつ」に
見守れながらTADAO KUREBAYASHIの
手を通過した「KARASUMI」の
「インスタント・粥」の様な物を頂いた。
おちゃずけ?
〆の「ブツ」としての
「選択の確かさ」に
以前の事では在るが
「なう」で
僕は感謝せずには今も居られない。
この「ブツ」は僕を饒舌にさせるな。

この「ブツ」は製作中からかなり長期に渡って、ブッソウなブツと共にあったので、今でもブツが加わるとこの「ブツ」は更にぶっ飛ぶのですよ。
描いた人間もぶっ飛んでいたけれど、ブツのやりすぎで、当時は帰って来れなくなってしまいました。今はどうしているのやら・・・。やはり芸術作品を造る人間は、深遠の危ないギリギリまで冒険しても、帰ってきて表現しなければ。と僕は思っているし、命ある限りそれを実践したいです。
コメントありがとう。
遥か彼方に行ってしまうのは
仕方が無いと僕は思うよ。
誰であれね。
ただ、戻って帰って来て貰って
オミヤゲを知りたいよ。
僕のただの我儘だな。
だってさびしいじゃん。
他生の縁が在る筈なんだから。
「ぶつぶつ」言ってしまって
ちっと恥ずかしいな。
ここの「ぶっ飛び」加減が
まだ足りないね。
命ある限り今後とも
宜しくなんだよな。
饒舌って良いじゃないですか。この作品は確かに力があって、欲しがる人が実は多いんだよね。今でも僕は「預かっている。」という気分なので売りはしないのだけれど。僕の子供たちもこの絵は好きだそうです。
つまり自分たちの領域において置きたいみたいなんだ。しかしこういった形でアップしてもらって、作品も喜んでいると思います。
ところでカラスミ茶漬けはまた食べたいなあ~。
またNYにおいでよ。
次回は
「このわた」とか「うるか」とかが
お題に成りそうですね。
お邪魔しに行きたいよ。
僕は誘惑には弱いからなぁー。
「預かっている」って
凄くカッコ良いですぜっ。
僕も今度どっかで使わせて貰って良いかな?
「作品」が喜んでいると思う・・・。
という君の言葉がダイレクトに嬉しい。